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2013年10月31日 12時01分

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【祝映画公開】スティーブ・ジョブズという人生(前編)

ステーィブジョブズ

 

2013年9月20日、世界各地のアップルストア前にiPhone 5sとiPhone 5cを買い求める長い大行列が連なり、その二つの新しい携帯電話は発売開始わずか3日間という短期間で実に900万台近くを販売されるという記録的なセールスを達成しました。

 

Macintosh、iMac、MacBook、iPod、iPhone、そしてiPad、どれもが洗練されたデザインと機能性を持ち、常に私たちを驚かせてくれるアイディアが溢れる斬新な製品です。これらの製品を生み出し、全世界で熱狂的なアップルファンを虜にした、たぐい希なる経営者スティーブ・ジョブズは、どのような人生を送ってきたのでしょうか。

 

コンピュータの勃興、隆盛の時代に大きな影響を与えた彼のこれまでの人生を、名言とともに振り返ることで、その輝かしい功績と経営者としての成功の裏側、そして彼が残した人生訓を映画公開に先駆けて綴りたいと思います。

 

恵まれない幼少期

1955年、スティーブ・ジョブズはアメリカのカリフォルニア州で生まれました。両親はともにウィスコンシン州にあるウィスコンシン大学の大学院生の時に知り合ったようです。ジョブズの実父である、アブドルファター・ジャンダリはもともと中東・シリアの有力者の子供でアメリカへ留学。そして実母のジョアン・シンプソンと知り合って、彼女は23歳で妊娠しました。

 

しかし、相手がシリア人の移民であることを理由に父から結婚を反対されます。そして単身でサンフランシスコへ。その後数ヶ月の滞在中に未婚のまま出産したのがジョブズです。

 

 

ジョアンはジョブズを養子に出すことを決意したのですが、養子に出す条件が一つだけありました。それは大卒の家庭ということです。
当初、大卒の家庭という条件を満たす弁護士夫婦との養子縁組がまとまろうとしていたようです。

 

ところが、この弁護士夫婦は養子縁組の間近となって一転女の子を欲しがり、ジョブズは弁護士の息子になりそこねて、代わりに機械いじりを日課とする高校中退の学歴の持ち主であるポールと会計事務所に勤務するクララの息子となります。

 

この時、唯一大卒の家庭という条件を譲らない実母であるジョアンは養子縁組の書類にサインするのをためらったそうです。そして、ようやくポールとクララがジョブズ本人を必ず大学に行かせると約束して、サインに応じたそうです。

 

後に、ポールとクララはこの約束を忠実に守り、ジョブズが希望する学費がべらぼうに高いリード・カレッジに進学させることになるのだが……

 

大学時代からフツーでなかった

 

養子縁組があってから17年後、ジョブズは大学へ進学するつもりはなかったようですが、どうしても進学するように養父母に勧められたため、しぶしぶ大学に行くことになります。この時、ジョブズはリード・カレッジ以外には行かないと言い出したそうです。学費面で優遇されているカリフォルニア州立大学や奨学金のあるスタンフォード大学でもなく、学費が高いリード・カレッジを選択しました。

 

“スタンフォードに行くのは、自分のしたことがわかっている学生で、そんなのアートではない。僕はもっとアートなこと、もっと面白いことがやりたかった”

とジョブズは語っています。

 

リード・カレッジでの学生生活は、図書館で友人と禅や東洋思想に関する書籍を読みあさったり菜食主義に傾倒したりしていたそうです。その結果、質素な生活を主とするベジタリアンになってしまい、1週間リンゴだけで生活するといったどうみても無謀な食生活をしていたようです。

 

大学にはしばらく通って中退したようですが、禅宗を始めとした非物質主義的な思考法がこの時に身に付いたようです。
学生時代に学んだ東洋思想の影響からか、ジョブズは後年、生と死にまつわる人生観について次のように述べています。

 

“周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖、そのようなものがすべて死に直面するとどこかに消え失せてしまい本当に大事なことだけが残る。自分はいつか死ぬのだということを意識すれば、何かを失うことを恐れるという落とし穴にはまらずにすむ。人とはか弱いものです。自分の心に従わない理由などはない”

 

ステーィブジョブズ

 

 

はじめての就活、色々な意味で突出していた

 

ジョブズは、1974年に、半年間ほど在籍したリード・カレッジの大学生活に見切りをつけて、実家のあるカリフォルニアで仕事を探すようになります。そして、当時ゲームメーカーとして急成長していたアタリ社に就職を希望します。

 

この時ジョブズは、サンダル履きでヒッピーのような出で立ちでアタリ社を訪問し「雇ってくれるまで帰らない」と、持ち前の傍若無人でかつアピール上手な就職活動で内定を勝ち取っています。入社早々、ジョブズはやはり同僚から後ろ指をさされていたようですが、懐の深い社長にかわいがられたため、首にはならなかったようです。

 

アップルの創業、未知なる革新へ

 

その後、ジョブズはインドへ自分探しの旅へ出かけて、アップルコンピュータへの創設と向かいます。「アップルコンピュータ」の社名の由来について、ジョブズは次のように語っています。

 

“アップルなら、コンピュータの語感が少しやわらかくなるし、電話帳でアタリより前にくるのが良かった。”

 

ジョブズと盟友のウォズは、アップル設立後、すぐにパソコン販売に乗り出します。これが、かの有名な「Apple I」というコンピュータの誕生であり、パーソナルコンピュータの歴史の大きな第一歩となった傑作です。

 

AppleⅠは、はじめ50台、1台500ドルで販売されましたが、当時のアップルとしては大きな仕事量であり、父親のポールは自宅でやっていた中古車修理の副業を中断して、ジョブズらの仕事ができるように自宅のガレージ全部を提供したそうです。そして、懸命な営業活動や展示会への出展などで、噂が噂を呼びすぐに150台のさらなる受注を獲得したそうです。

 

jobs

 

成功への第一歩

 

 続いて、ジョブズはAppleⅡの開発を開始します。AppleⅡのコンセプトは、すべてが用意されたパッケージのコンピュータ、つまり、電源、キーボード、モニターまで「オール・イン・ワン」でまとまった一つの製品です。現在のiMacに通ずるものがあり、当時としては革新的なコンセプトのマシンでした。

 

AppleⅡは、サンフランシスコで開催されたコンピュータフェアの展示場の特等席に高額なフィーを支払って展示されたようです。これを契機に様々なメディアで賞賛され大ヒットを記録し、その後も16年間にわたり、総計600万台も販売される一大ベストセラーマシンに登り詰めます。

 

一見、順風満帆に見えるアップルですが、この頃の経営内部を見ると、半導体メーカーから引き抜いてきてアップルの社長に抜擢されたマイク・スコットとジョブズの間で大きな軋轢が生じます。スコット社長の方針で、ナンバーⅠの座に盟友のウォズが指名され、ジョブズはナンバー2に追いやられます。

 

コンピュータの怪盗 ジョブズ

 

AppleⅡで成功したアップルは、次なる革新的な新製品を求めていました。ジョブズはこの頃、コンピュータ業界史上、最も巧妙な怪盗事件を引き起こしたとされています。AppleⅡの大ヒットで勢いに乗るアップルに資本参加を求めていたゼロックスに対して、その交換条件としてジョブズはゼロックスのパロアルト研究所(通称PARC)の技術を拝借したいがため、次のように申し出たとされています。

 

“PARCが着物の前をはだけてくれるなら、100万ドルの出資を受け入れよう”

 

そして、PARCの技術者との何度か駆け引きがあったようですが、この時、ジョブズらは、現代ではもう当たり前ですが、当時最先端であったゼロックスの技術の粋を集めた高度なコンピュータを目の当たりにします。それは、ネットワークに接続されたコンピュータ、そしてオブジェクト指向プログラミングでプログラムされたソフトウェアでした。

 

そして、その技術に興奮したジョブズとウォズはこの技術を盗み取り、アップルはさらなる進化をしていくことになります。一方、技術を開発したゼロックスは宝の持ち腐れで終わってしまったようです。

 

 

新たなる挑戦、飛躍

 

1984年、長年の開発の成果が実り、ついにマッキントッシュが発売されます。時は、IBMがPC/AT互換機で急速に個人マーケットに浸食し始めてきた時で、ガリバーIBMがすべてのコンピュータ市場を支配しようとしていた時期でした。

 

これに対して、アップルは時代の波に乗り、PARCの成果を思う存分に活用したマッキントッシュが大成功して、IBMの独占を食い止めるとともに、さらなる飛躍を果たします。マッキントッシュの発売でアップルとジョブズはさらに名を馳せることとなります。

 

しかし、一方で強力なライバルも同時に台頭してきていました。それがビル・ゲイツ率いるウィンドウズです。当初ウィンドウズは、アップル向けにワードやエクセルといったアプリケーションを提供していましたが、次第にソフトウェア開発力を強化し、ついにはマッキントッシュの二番煎じとも言えるWindows1.0の開発に着手します。

 

はじめは粗悪品とのレッテルを貼られますが、次第にその操作性、グラフィック性を向上していきます。そして皆さんご存知の通り、Windowsの時代に突入することになります。
ジョブズは、この後続くWindowsの隆盛とMacの停滞について、次のように述べています。

 

“マイクロソフトがマックをコピーすることに長けていたわけではない。マックが10年もの間コピーしやすい製品だっただけだ。それはアップルの問題だ。独自性は消えてしまった“

 

後編に続く

 

執 筆:MIYA

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