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【祝映画公開】スティーブ・ジョブズという人生(後編)

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ステーィブジョブズ

 

作った会社に解雇される

1982年のアップル社内ではスティーブ・ジョブズとの関係が悪化していた半導体企業出身のスコットが解雇され、ジョブズは彼の後任としてペプシコーラの事業担当をしていたジョン・スカリーの引き抜きを試みていました。とても有名な話ですが、この時ジョブズはスカリーに対して魔法の言葉を使って口説き落とします。

 

“このまま一生砂糖水を売りつづけたいか? それとも世界を変えたいか?”

 

スカリーはペプシに未練があったようですが、ジョブズのこの猛烈なラブコールを受けて、1983年年俸50万ドル(約4875万円、1ドル=97.5円 2013年10月28日の為替レートで換算)とボーナス50万ドルでアップル社長の座に就きました。当時は、ジョブズとスカリーの二人の関係はとても良好で、「ダイナミック・デュオ」と呼ばれて水魚の交わりが続きます。

 

しかしその後、ジョブズはマッキントッシュの販売予測でポカをして、アップルは過剰在庫を抱え、創業後初めての赤字を計上してしまいました。そのためアップルは、多くの従業員を解雇せざるをえない状況まで追い込まれてしまいます。

 

さらにジョブズとスカリーは、マッキントッシュの価格設定方針でも意見が対立します。そうこうしているうちに、ついに社長として実権を握るスカリーはアップルの経営のガンとしてジョブズを考えるようになり、ジョブズを解任することを取締役会に提案する事態になりました。それを察知したジョブズは、機先を制してスカリーの外国出張中にアップルからスカリーを追放することを企てます。

 

しかし、この画策は内部通報でスカリーの知るところになり、スカリーは、取締役会で、ジョブズに自分の追放を画策した事について糾弾します。ジョブズは会長職以外、アップルでのすべての仕事を剥奪されてしまいます。この混乱の張本人であるジョブズは、罰としてアップルのお飾りの立場に追いやられることとなってしまうのです。

 

転んでもタダでは起きない。

 

“当時は分からなかったが、アップルに解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重圧が、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。何事につけても不確実なことは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた”

 

晩年、ジョブズはこの苦々しい経験を、自分の人生にとって貴重な経験であったと振り返っています。アップルから追放されたジョブズは、コンピュータの新たな可能性を求めて、アメリカの大学を歴訪しスタンフォード大学でノーベル賞受賞者の生化学者のポール・バーグと知り合うことになります。ジョブズは、自分より知識がはるかに多いと感じる相手と話をすることを好み、ジョブズからバーグにまた会えないかと電話をいれたそうです。

 

バーグとの会話の中で、DNA実験にコンピュータを適用する話にインスピレーションを受けて高等教育におけるコンピュータの普及というアイディアを生み出します。そして、その構想を実現すべく、ジョブズは新しい会社NeXTを創業することになります。

 

NeXTでのジョブズは、なんら束縛するものもなく、まさに本能のままに行動していたようです。NeXTのロゴデザイン、OS (NEXTSTEP) の開発、NeXTcubeの本体デザインに時間とお金を惜しみなく費やしました。例えば、たったひとつのロゴデザイン案に10万ドル(約975万円)の報酬を支払うことまでしたそうです。それらの資金は自己出資した資金では足らず、さらにゼネラル・モーターズのロス・ペローや、日本のキヤノンから巨額な出資を追加で受け入れています。

 

ステーィブジョブズ

 

しかし、時間とお金を費やしジョブズのこだわりが詰まったNeXTはワークステーションと同じくらい原価がかかってしまい、おまけに外観を重視するあまりに機能性を後回しにした痕跡が多くあらわれました。このとき、マイクロソフトのビル・ゲイツはこのコンピュータを名指しして、「このマシンはガラクタだ。光ディスクは遅すぎるし、くそケースは高すぎる。こんなばかげたものはない」と強烈に皮肉ったそうです。

 

そして、ウィンドウズは、NeXT専用のソフトウェア提供は行わないこととなりました。そのため、当然ながらNeXTコンピュータは鳴かず飛ばず、授業員の半分近くをレイオフし、ハードウェア部門をキヤノンに売却し、NeXTは規模を縮小せざるをえませんでした。

 

しかしNeXTは、商業的な問題とは別として、コンピュータの歴史的な意義は大きかったようです。NeXTcubeは開発と運用のしやすさから、時代の先駆けとなるウェブサーバー機能として用いられたという大きな功績を刻み、NEXTSTEPとその開発機能は、ウェブサーバーなどを容易に構築・運用できる利便性を持ち合わせており、その設計思想は今日のMac OS Xにも受け継がれています。

 

アニメの世界にも変革をもたらす

 

ステーィブジョブズ

 

一方で、ジョブズはこの先数年でコンピュータの性能は飛躍的に発展するとともに、映画の世界ではアニメーション化や3Dグラフィックが多く利用されるだろうと予想します。そして、1986年に、ルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1000万ドル(約9億7500万円)で買収してピクサーと命名しました。

 

そして、アニメーション部門の再生を目指していたウォルト・ディズニー社にCGアニメーション映画の作成を提案して契約にこぎ着けます。高性能のコンピュータで作り上げられた、全編コンピュータ・グラフィックスによるアニメ映画『トイ・ストーリー』が完成して、1995年11月に封切られました。

 

それまでの間ジョブズはアップルで稼いだお金の半分以上の5000万ドル(約48億7500万円)をピクサーに投資しており、後年ジョブズは振り返って「こんなにお金がかかるとは思っていなかったよ」と語っています。しかし、トイ・ストーリー公開直後に、ピクサーが株式上場を果たし、結果的にはジョブズは投資資金以上の多額の資産を手に入れることになりました。

 

そして、何よりも優れた芸術作品とコンピュータ技術を融合してこれまでのアニメーションの常識を覆したのは、ジョブズの業績でしょう。その後ピクサーは、再びウォルト・ディズニーに買収され完全子会社となりました。

 

古巣へ復帰

 

NeXTはリストラによりソフト事業に特化した後、世界初のウェブアプリケーション開発・運用環境であるWebObjectsを出荷、NEXTSTEPも自社内開発を行う金融機関などから受注を獲得して経営上は安定しつつありました。

 

ジョブズは、1996年、ウィンドウズの台頭で経営危機に瀕したアップルが自社内でのOS開発が暗礁に乗り上げ、次期OSを外部に求めているという話を耳にします。まさに時代はウィンドウズ全盛期であり、ビル・ゲイツは1990年のGUIベースによるWindows3.0の開発を経て1995年にWindows95が爆発的なセールスを達成しました。ちなみに、アップルのマッキントッシュの売上は、Windowsの成功に反比例する形で急減しています。

 

早速、ジョブズはアップルにNEXTSTEPを売り込むべく、当時アップルのCEOだったギル・アメリオに電話をかけて簡単なプレゼンテーションを行うことになりました。

 

アメリオとアップルCTO(最高技術責任者)のエレン・ハンコックはMac OSの後継候補として、Be社のBeOS、サン・マイクロシステムズ社のSolaris、マイクロソフト社のWindows NT、そして、NEXTSTEPの4つを考えていました。元々アメリオは、動作安定性の高いUNIX、その中でもカーネギーメロン大学で開発されたMachに関心を持っていましたが、そのうちジョブズのNEXTSTEPにも触手を伸ばすこととなります。

 

そして結果的にアップルは、ジョブズのNeXT社を4億ドル(約390億円)で買収することに合意して、次期OSの基盤技術としてNEXTSTEPを採用することになります。
そしてここにジョブズはアップルの非常勤顧問という形で復帰することになります。この時、アメリオからお祝いのプレゼントとして、20周年記念版のマッキントッシュをもらったのですが、受けると同時にそのまま窓からガラスを突き破って外に放り投げたという伝説が残っています。

 

 その後、ジョブズはアップルの経営権をアメリオから奪取するために、社内でクーデーターを開始します。アメリオではアップルの再興をはたせないとして、すべての役員を味方につけ政権交代となり、再びジョブズが2000年にCEOに返り咲きます。

 

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最大のライバル ビル・ゲイツ

ジョブズがアップルに復帰してから、アップルは再び輝きを取り戻します。例えば、1998年にはマイクロソフトのビル・ゲイツとは株式譲渡と技術提携を条件に、マイクロソフトから1億5000万ドル(約146億2500万円)の資金提供と、マック版のマイクロソフトオフィスとインターネットエクスプローラの提供を受ける業務提携を発表しました。その後、さらなるアップル改革を断行して、アップルの再建を軌道に乗せることに成功しました。

 

1998年には、iMacを発表。これまでにない斬新なデザインとカラフルな色合いはこれまでのパソコンを一瞬で流行遅れにしてしまうほどのインパクトがありました。そしてiMacの発売はなによりアップルの復活を内外に強くアピールできたのです。

 

当時のパソコン市場をジョブズは次のように分析しており、その結果がiMacの登場につながったと言えます。
“デスクトップパソコン業界は死んでいる。革新性など存在しないも同然だ。技術革新とほぼ無縁のマイクロソフト社が市場を支配している。デスクトップ市場は暗黒時代に突入しており、あと10年はこの時代が続くだろう。少なくとも、1990年代の終わりまで続くのは確かだ”

 

CEO就任

 

ステーィブジョブズ

 

アメリオ追放により2000年にジョブズはアップルのCEOに晴れて就任することになりました。そして翌年にはバージョン9まで続いたMac OSに続く、マッキントッシュ専用の新たなOSとして、Mac OS Xを発売しました。

 

同年、iTunesとiPodによって音楽事業に参入、音楽事業をパソコンと並ぶアップルの事業の柱にしたてあげました。
そして、iPhoneの発売へ。2007年1月、サンフランシスコのマックワールドで、ジョブズは歴史に残る素晴らしいプレゼンテーションでiPhoneを紹介しました。

 

“これから革命的な製品3つを紹介する。最初はタッチコントロール機能を持つワイドスクリーンのiPod、2番目は革命的な携帯電話、そして3番目はインターネットコミュニケーション用の画期的な機器だ。3つに分かれているわけじゃないんだ。じつは一つ。iPhoneっていうんだ。”
と、ジョブズは革新的なアイディアに満ちあふれた製品をこう紹介しました。

 

当初、iPhoneに対して同業他社やメディアから根拠のないひがみややっかみがありましたが、ジョブズがCEOを退任する2011年までに、携帯電話事業はアップルの総売上高の5割を占めるまでになりました。

 

2011年にジョブズが亡くなってから2年以上が経ちますが、アップルはその輝きを失わず変化が激しいコンピュータ業界の中でその地位を揺るぎないものにしています。2013年9月のiPhone 5sとiPhone 5cの爆発的な大ヒットがこれを証明しています。

 

以上、駆け足で激動のジョブズの人生を彼の名言とともに振り返りましたが、話が尽きないのでこれくらいで終わりにします。最後に、これまでのジョブズの人生観の本質を表現している名言、これからの時代を生きる私たちに対する彼のアドバイスで締めくくりたいと思います。(2005年スタンフォード大学の講演にて)

 

“あなたの人生の時間は限られている。だから他人のために自分の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。常識や既存の理屈にとらわれていてはいけない。それは他人の人生で考えた結果で生きていることなのだから。他人の考えが騒音のようにあなたの内なる声をかき消したりすることがくれぐれもないように。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持つことです。それは不思議なことですが、あなたが本当になりたいもの、やりたいことをすでによくご存知なのだから。それ以外のことは、すべて二の次で、その程度のものでしかないのです。”

 

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執 筆:MIYA

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