Apple共同創業者ウォズニアック氏が語る!人生を楽しむ法則を見つけよう②

ウォズニアック

ウォズニアック
 
①からの続き
 
インタビュアー:
では学生を教える時、自分がどういう人間なのかをまだ探している人にどんなアドバイスをしてあげますか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
僕は、11歳から13歳くらいまでの多くの若い学生や、教師にも指導してきた。クラスで挙がるあらゆるトピックを解決するのに、どういう風にコンピューターを使うのかというもので、1年につき200時間教えた。その頃、子供達は自分のコンピューターを持っていなかったから、それはとても特別なことで、子供達の成長を見るのがとても楽しみだった。教師という役目を果たすのも、とても面白かった。昔から教師になるのに憧れていたから。小学校6年生の時、父に、自分は彼のような電気技師になるんだと言った。それから、ミス・クレアのような5年生の先生になるとも。そして自分の子供を持って、コンピューターを学校に贈呈した。それがやるべきことだから。
 
僕はお金持ちになったら、コンピューターを学校に贈呈しようと思っていたけれど、それは大したことではない。自分を、自分の時間を贈呈するんだ。自分が、人を教えることができるかどうかわからなかったが、この時、どうやって教えるのかを学ぶことになった。そして、何を教えるかは大して重要ではないことも学んだ。生徒をやる気にさせることがもっと大事だ。楽しんでもらうことで、自分で何かをやるというパワーと、存在価値の感覚を与えることができる。
 
そうして8年間、素晴らしいクラスを持つことができた。僕にとって大事なことは誠実さと正直さであるので、取材はすべて断った。新聞の記事を読むと、実際に起きたこととはいつも違うことが載っていた。そういうことが子供達の周りで起きてほしくなかった。起きてもいないことを、誰かが記事にするのを見てほしくなかった。だから、取材は一切断って…何の話をしていたのか忘れてしまったよ。
 
 
インタビュアー:
はは、あなたは質問にきちんと答えてくださいましたよ。ちょっと話を変えて、あなたが昔いつもしていたという、テレビを故障させるイタズラの話をしてもらえませんか。一つだけ映像記録に残っていますが、それがどういう仕組みなのか簡単に説明していただけますか。どんな身振り手振りで、どうやってイタズラを成功させたのか教えてください。
 
スティーブ・ウォズニアック:
10歳の時に無線免許を取ってから、トランジスターも回路の一種だということを知って、自分が持っていたラジオからいくつかの部品を取り出した。地元の店でトランジスターなど1つ2つ部品を買って、9V電池を組み入れて、全部の部品をはんだ付けして、親指の爪でダイヤルを回すことができる装置を作った。それをテレビに使うと、画面が真っ暗になる。一時的に故障するんだ。その頃、寮にあるテレビは全部白黒だったのだが、キャンパス全体で、一つだけカラーテレビがあった。コンピューター序論が大学院レベルのクラスだった時代のことだ。僕はそれでA+をもらったけれど。
 
それはともかく、その頃唯一のカラーテレビは女子寮の地下にあって、その夜、僕たちはカラーTVを見るために、そこに行く予定だった。僕はカラーテレビではどうなるのか見たくて、故障装置を持って行った。結果、画面は真っ暗になるのではなく、ぼやけたようになった。すると、隣にいた友達がテレビを叩いた。最初これをした時、あらかじめ打ち合わせはしていなかったんだ。
 
彼がテレビを叩き、それと同時に、僕がテレビの調子を元に戻した。それでみんなは、テレビを叩くと直るのだと思い込んだ。何週間も、誰かがテレビの横にいるようにして、テレビの調子が悪くなると、横にいる人が画面の調子が良くなるか、微調整コントロールを調節するまでテレビを叩き続けた。微調整コントロールを調節するとテレビの調子は戻るけど、手を離した途端調子が悪くなる。一度も見つからなかったよ。手を元に戻すと、調子も良好に戻る。それで、みんな自分の体の位置が関係あると思い込んで手を前に伸ばしたままにしていた。椅子の上に乗って、アンテナを上げると調子が戻るように仕組んだり、別の日は、友人が画面の真ん中に片方の足を床から上げて座っていて、彼が足を床におろしたり、テレビから手を離すとテレビの調子が悪くなるようにした。
 
みんなミッションインポッシブルの後半を、テレビの真ん中に“T”がある状態で見て、僕は後ろの方でクスクス笑っていた。面白かったし、僕の仕業だとは誰も知らなかった。イタズラは見つからずに済み、みんな間違って、テレビの真ん中の人工物が悪いのだと思い込んでいた。あれは本当に楽しかった。
 
僕は行く先々で、若い人たちとコミュニケーションをとりたいと思っている。特に高校生や大学生くらいの人たちとね。僕の人生では、その年頃に、物事が起こり始めた。自分が自立していられるのだと気づいた頃だ。「自分の考えを持っていい」「すべてのお金をつぎ込んで、当時とっていたコースのコンピューターマニュアルを買いに行ってもいい」「自分の人生で自分の情熱のために何かをしてもいい」「情熱に従い、それに身を投じることができる」、そしてその頃、自分がいつか、実際に成功できるのだと気づいた。自分が成功できることと、そして何で成功したいのかも。金銭的な成功ではなくとも、自分の仕事でなくても構わない。僕はそうしたアイデアを伝えたいし、愉快なアイデアを伝えるのも好きなのだ。
 
高校や大学の頃は、まだ個性が固まっていない。個性が固まってくるのは、18から23のいわば大学生の時期だ。つまり、まだ別の人になることが可能だということだ。才能を、月に向ける人にもなれるし、堅苦しい人にも、今日何をするか予定表に従うだけの人にもなれるわけだ。僕は「君はクリエイティブになるつもりがあるのか?」「君が、それについてただ考えたいと思うだけなら、答えはノーだ。何か別にできることはあるだろうか?」とメッセージを投げかける。ひとつ提案するのは、「プロジェクトを終わらせてしまえ」ということ。学校の宿題でもいい、自分が立てた予定を済ませることでもいい、そしてもう一度立ち返り、それをよく眺めてみる。「これをもっと良く仕上げるやり方があっただろうか?」と。そして、すでに頭の中にあるすべてをもう一度繰り返してみる。今度はもっとうまくできるから。
 
また「自分自身のための小さなことをたくさんしよう」という信念をもってもらいたい。生活の中で、楽しいプロジェクトをたくさん作る。何かに繋がらなくても、会社を起こさなくてもいい。そのためのプロジェクトではないのだから。自分の楽しみのためにするんだ。何か行うというのはいつも、ある種の仕事のようなものだ。ガーデニングでも、プログラミングでも、エンジニアリングデザインでも、それをうまくやるなかで、何かが見つかる。すると、頭にそれが記憶され、脳が処理し、やがていつの日が人類社会にとって価値あるものとなる。
 
 
ウォズニアック
 
インタビュアー:
新たに事を起こすような人間に自分自身を作り変えるパワーは、どのようにしたら持つことができるのですか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
確かに多くの人が「それは運命? あなたは特別な生まれなの?」「エンジニアが定めといえるほど、僕はクリエイティブに生まれついていますか?」と考える。それに僕はノーと言う。それは単に、ささいな影響で、人生の中で突き当たる偶然のものだ。突き当たって、入り込んでいく感じとでも言おうか。
 
子供の頃、僕は幸運にも、自由な環境にいることができた。公立学校へ通い、世の中のいろいろな面を見ることができた。そして、どんな人になるかを自分で選択するようになった。ほとんどすべての人に当てはまると思うが、最も幸せな記憶は、楽しいことや、いたずらをしたりした時のものだ。いつまでも記憶に残るのはこういったことで、授業で習う化学反応式のようなものではない。自分が誰であるか、どのように考えるか、どのような価値観をもつか、どのような道徳観をもつか。価値観、倫理観、いかに誠実な人になるか、そういったことを自分自身に問うきっかけとなる物事が、学校で習うほとんどのことより遥かに重要なのだ。
 
僕はほとんど自分のやり方でやってきた。これが法則だなどと言うつもりは全くない。20歳のときに、自分にとっての幸せの法則をたくさん見つけた。「議論するな」というのがその一つだ。議論で、より幸せな結果にたどりつくことなどない。政治的になる必要はないし、自分にとってどんな人生が良いかは自分がわかっているのだから、建設的になろう、他人を非難ばかりして破壊的になるのはよそうってね。
 
僕は、自分を生涯幸せにするたくさんの哲学にたどり着いた。でも、それが他の人々にも当てはまるわけではなく、そんなふうには決して思わない。同じような育ち方をした人は、同じように幸せになれるなどと言うつもりもない。誰もが、自分自身の法則を見つけなければならないのだと僕は思っている。自分の法則を見つけたという事実があるが、僕はそれを作り上げたのであって、本から学んだのではない。説教師や、親や何かから教えられたのでもない。それは、僕たちがたどり着くものなのだと思っているんだ。よく考え、自分が何者であるかを知り、自分の人生すべてをよく知ることだ。
 
あなたは人生のどこかで必ず成功する、なんて僕は信じない。他の人々に、これが唯一の正しい道だなどと言わない。「ねえ、月へ行く成功を手にしたら、偉大な人になれるよ」だなんてね。僕に言えるのは、あなただけが、その成功を知っているのだということだ。僕だって、自分自身の本当の人格を変えたいとは思わなかったから。「さあ、富を最大限にするぞ」「さあ、権力を最大限にするぞ」というふうに自分をもっていきたいとは思わなかった。そんなふうに考える必要はない。「ただ、楽しむ秘訣を見つけて、この先ずっと良い人でいたい。幸せに生きて死にたい」それでいい。
 
僕は20歳の時に、それについて考え抜いた。その時、家のどこに自分が立っていたかまで覚えている。死に直面した時、会社を運営していて、すべてがうまくいっていて、電話で物を注文しまくっているだろうか、と。それとも、ただ外にふらっと出ていって、笑ったりいたずらしたり、冗談を言ったり、お金もそんなには持っていない男だろうかと。僕はむしろ後者でいい。僕にとって、楽しむことは、富よりも、言い換えれば成功よりも、優先順位の高いものだ。
 
 
インタビュアー:
お考えを聞かせてくださってありがとうございます。とても素敵です。目標はどれほど重要ですか? どのように設定しますか? 正しいことは正しい時期にやってくると信じますか?
 
スティーブ・ウォズニアック:
僕にとって目標とは、常に長期にわたるプロジェクトだったよ。まだ幼かった9歳、10歳、11歳の頃に、完成するのに何週間もかかるプロジェクトを打ち立てた。子供の頃、価値あるプロジェクトを完成させるためには長期間働くこともできると学んだのは幸運だった。あらかじめ頭で、それが価値あるものだとわかる、これはとてもいい学びだったよ。
 
仕事に着手した時、コンピューターを例に挙げると、目標は、それを使ってプログラムを作動させられるような何らかのコンピューター、またはディスクドライブを完成させることだ。大まかなカテゴリーとして、どんなステップを踏めばいいかは、すべてわかっている。問題解決の過程において、全体から独立した部分が全くなかったのは僕にとってラッキーだった。別のプロジェクトでの独立した部分では、複数の学問領域を行ったり来たりして、研究に研究を重ねた上で目標に到達した。そこで、振り返って、学校教育システムについて考えてみた。僕は長年にわたり学校で教えてきたから。学校ではこう言う。家へ帰ったら今夜、これらのページを勉強しなさい。その部分のテストをしますからね。そうして2、3ページを勉強する。数学について、わずかひとつの原理を学び、それについてのテストを受ける。
 
そこで思ったのが「なんてことだ。もっと早くに着手して、学校教育を修士課程や博士課程のプロジェクトのように変革させればよかった」ということだった。博士課程や修士課程では、学生は目標を与えられ、何らかの新たな知識を発見するために、ある問題について論文を書く。そして膨大な授業をとることができる。授業は、学生がその目標に到達するのに役立つ知識を与えてくれる。
 
こんなふうに学校で教えたらどうだろう、目標を授業の初日に設定するんだ。高校1年になったに最終目標を決める。これが君の最終目標だ。このクラスにいさえすれば、僕たちがすべての問題についてカバーする。君は自分のペースで進めていけばいい。本で学んだり、インターネットで学んだり、答えを出して最終目標に到達するためにすべてのものから学ぶことができる。おそらく、小論文テストやその類いのテストは、とてもクリエイティブなものになるだろう。学校でもっとそういったテストを出せばよかった。短期間でただ覚えるだけよりも、その方がより考え方をテストできるから。
 
 
インタビュアー:
自分自身が誰であるかに正直でいるというのは、とてもいい主張だと思い、前に戻って取り上げたい話題がひとつあります。あなたは常にエンジニアになりたいとお考えだったのですね。「これが僕のなりたいものだ」と気づいた時、ご自分がどこに立っていたかまで覚えているとおっしゃいました。
 
スティーブ・ウォズニアック:
僕は、自分が何者なのか、本当のスティーブ・ウォズニアックを知っているし、何が僕を幸せにしてくれるものかもわかっている。多くの人は、それを、特にビジネスで成功したときに失ってしまう。突然、「ああ、プロジェクトを管理しなければ」「もっとお金を儲けなければ、そしてあれもこれも」となる。僕は一度もそういうことを追い求めたことはなく、自分のお金もバラ撒いたりした。他人や、あちこちの博物館や都市に、たくさん良いことをしたんだ。危険や堕落を避けたかったから。
 
僕は、良い人間として育ち、それを自分で知っていたし、そういう人物が子供の頃から好きだった。「永久に年をとりたくない」というタイプの人になろうと決意したんだ。年をとり大人になると、戦争を始めたり、その理由を永久にでっちあげ続けたり、物事を複雑にしてしまう。子供の頃は、本当に善良で単純なのに。若い頃から、こういった価値を自分の中に持ち続けようとしてきた。それを僕は嬉しく思っていて、本当に幸運で、誇りに思ってるんだ。僕は頭の中が軽いんだ。
 
僕の幸運の法則のなかで一番なのは「悲しむな」かも知れない。自分を悲しませてはいけない、考えるな、物事を心配しすぎてはいけない。いらいらしてしまうだけだ。ふたりの人物が、政策について議論しているところを想像して欲しい。ふたりとも、眉をしかめて歩き去っていくだろう。難しい顔をするのをやめよう。 言い争いをしてはいない。相手の考え方にも良いところがあって、あなたの考え方にも良いところがあって、あなたが説得しなければいけないのはただひとり。あなた自身だ。あなた自身が、納得させなければならないただひとりの人物だ。
 
 
(lunatic)

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この記事を書いた人

元某業界新聞社の記者。その後フリーライターとして各方面で執筆、英日翻訳家としての著書も多数。2014年から本メディアでライター、編集記者として活動中。アメリカ在住(現在は日本に滞在中)。iPhone使用歴は12年以上。

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